どっこい40年も生きてるよ

ひろみさん
自立生活支援センター
理事長/社会福祉士

41歳。1歳半でSMAと診断。3歳までしか生きられないと言われていた。小中高と普通校で学ぶ。
両親、兄・弟の5人家族だが、2001年からひとり暮らし。Ⅱ型SMA。

人生は楽しまなきゃと決めている

生まれたときからSMAを持っているので、健常者になりたいですか、と聞かれることに違和感があります。それは自分にとっては、あなたは馬になりたいですかと聞かれるのと同じことです。

外出大好き人間です。人工呼吸器を抱えて飛行機にもよく乗ります。公共の電車やリフト付きバスも日常的に利用しています。
障がい者であればこそ、多くの人々に出会えたというメリットも感じているし、物心が付いたときからこんな自分が大好きなんです。
日々やってることは「仕事」という意識はなく、「活動」という類のものですね。この数年間は講演の依頼が多く、今月だけでも8回あります。
いろいろな場所でいろいろな人と知り合って世界が広がります。障がい者だからこそ得られる体験も数多くあるので、この生活はやめられません。
現代はネット社会なので家の中にこもっていても世界とつながっているように感じられるでしょうが、私は外に出ることが好きです。もちろん、日常生活が送れるような基盤ができている現状だから言えるのでしょうけど。

支援制度はありがたいことだけど…

私が大学生のころはヘルパー制度などがいまほど充実していなくて、頼めるのも日中だけ、それも在宅時と限られていました。ところが、日中は学内にいるので制度を利用できません。そのため、ボランティアに依存するしかなく、自分でチラシをつくって配ることでボランティアを集めました。自分で集めたボランティアは友人でもあるので嫌がられそうなことは頼みにくかった半面、自分から積極的に介助の仕方を伝えたり、関わりを創っていこうとしていました。
現在は24時間、365日活用できるいい制度になったのはありがたいことですが、制度を使う消費者(お客さん)でしかないので、ヘルパーの方と関係性を創ろうとする前に、事業所にクレームを出して交代してもらうという人が増えており、難しいと感じることもあります。

この生き方が楽だというのを選べばいい

私は社会のためや、誰かのためにと動いたことはありません。全部自分のためです。
ひとりで好きなように生きているだけなのにメディアに取り上げられたりすると、それが正しい生き方だと勘違いすることもあります。でも、私とは違う考え方や生き方があって当然で、私は自分の生き方を押し付けようとは思っていないのに、周囲から「ひろみさんみたいな生き方こそが目指すべきものでしょう」という風に言われるのは違うと感じています。特に、同じ障がいで同じ世代だと、周囲に比較されがちですね。「こう生活すべき」ではなくて「こういう生き方もあるよ」と言っているだけなので、それが例えば私の日常の活動を表彰などという形で表に出されると、ちょっと申し訳なく思います。それぞれの人が、「自分はこの生き方が好きだ、楽だ」という生き方を選べばいいだけです。

障がい者と健常者の生きる場所が分離されがちなのが不満です。一緒に過ごせる時間と場所があるのが望ましいのに、特に教育現場では分離を感じてしまいます。障がいの重い子ほどスクールバスに乗って遠くに行かなければならないのはおかしいと思います。障がい者に偏見・差別ができるのは小さいころから一緒に過ごさないからだと思っています。基本的にはみんなが一緒に過ごすべきです。
車いすを使っていても、人工呼吸器を使っていても、メガネをかけている人と同じように接してほしいです。

「反抗期」を持てない障がい児はおかしい―家族の在り方

障がい児のいる家族は、家族自身の生き方を考えてほしい。障がいのある子の面倒を見るのを生きがいにはしてほしくないと思います。家族に体力があるうちはいいけれど、年を取ると介助が大変になるし、障がいのある子も自分が親の負担になっていると知るのはつらいことです。介護者だと仕事として利用者の言うとおりにしてくれますが、親だとそうではなく、ちょっと待って、後でね、ということが頻繁にあり、いつも親の顔色を見ながら生活していました。親の機嫌を損ねないようにいつも気を遣っていて、反抗期さえ持てないのです。

私は高校を卒業したら家を出ろと言われていました。それは、兄や弟も同じでした。不安ながらも大学でひとり暮らしになって、生活が落ち着いたころになると自由を感じるようになりました。小さいころからずっと親が付いている生活は、年齢を重ねるほどに親子ともに大変になるでしょう。みんなが元気なうちに互いの生活を確保してほしいなと思います。

私はSMAですが、それは私自身です。
SMAの遺伝子は、先祖からずっと引き継がれてきたものです。それが、なかなか世に出てこずに祖父母にも両親にも出ず自分に出た。ようやく自分の時代で世に現れたのだ。やった!という気持ちです。そういうところにロマンを感じています。

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